ビットコインなど、信じた銘柄をトレードせず持ち続ける、いわゆる「ガチホ」についてまとめてみました。
考えるキッカケになったは、KAZMAXさんのTwitterスレッドからです。
この一連のTwitterスレッドを要約すると「ガチホは正しいか?間違っているか?」
という、それぞれの主張を持つ人たちの議論(?)です。
- ガチホは正義なのか
- ビットコインをガチホするとどうなるか
- 現在のガチホ勢の結果はどうか?
発端のKAZMAXさんの主張は以下です
- ガチホは思考停止と同じだ
- 最終的に勝てない
- だからトレードの勉強をしなければダメ
みなさんの意見はどちらですか?
ポジションによって意見が大きく異なる議論だと思いました。
ある程度仮想通貨を触った人なら「どちらでもないよ」とは言わない問いのような気がします。
ガチホは正義か?
この問題について考えることは、自分の「トレード観」みたいのを振り返るキッカケになるかも、思って書いてみることにしました。
結論:時と場合による
ガチホは正義か?
ぼくの意見は「時と場合による」です。
「そりゃ当たり前だよ」と思われたかもしれません。
より正確にいうと、「その人が”トレーダー的”なのか”投資家的”なのかで違ってくる」という意味です。
それと、単純に入ったタイミングがよければ(安い時に買い始めていれば)精神的な余裕が違う、という意味でもあります。
トレーダーか投資家か
人によるというのは「トレーダー的」か「投資家的」という立場(ポジション)によって変わってくるということです。
トレーダー的なポジションとは
テクニカル分析(チャートの形のみで分析する手法)を主に使う人のことを指しています。
移動平均線や三尊・逆三尊といった「チャートの形」だけを見て
「今が買いだ」
「今が売りだ」
という判断を下します。
その時、基本的に「この銘柄がどんな特徴を持っているか」みたいなストーリー的なことは気にしません。
ビットコインだろうとドル円だろうと、アップル株だろうと、全部同じものとして扱います。
短期的に上がれば利益が勝ち、下げれば負ける。(ショートの場合は逆)
とてもシンプルです。まさに投機的な行為です。
投資家的ポジションとは
対して、投資家はどう行動するか。
”投資家的なポジション”の人は短期的な上がり下がりはあまり気にしません。
「この銘柄が将来的にどんな成長をするのか?」が最重要のポイントです。
だから投資家はトレーダーとは違いファンダメンタルを大切にします。
言い換えると「その銘柄にどんなストーリーがあるか」が重要ということです。
結果がすべて
TwitterでKAZMAXさんも言っていたように「投資では結果がすべて」だと思っています。
ガチホだろうが、デイトレードだろうが、結果的に利益が出ればいいという世界です。
ビットコインを長期間ガチホした人と、トレードを繰り返した人で、どちらの利益が大きかったかの答え合わせは数年後です。
結局はタイミング
そして、結局はタイミングということです。
同じ2017年後半に買ったとしても、10月と11月ではガチホの難易度が全く変わったはずです。
現在のビットコインでは「ガチホが正義」
ちなみに、現時点では「ガチホは正義である」と言ってもいい状態です。
めちゃくちゃ上がってますから。
仮にガチホ=5年以上持ち続けることだと定義してみます。(本来、一般的な定義はありません)
5年前に仮想通貨投資を始めた人で、ガチホ以上の成績を上げた人はいるでしょうか?
たぶん、ほとんどいないと思われます。
ちなみに5年間ガチホした人の利益率は8,683%です。
87倍。
いくらトレードが上手くても、これを超えられる人はほとんどいないと思います。
(たぶんKAZMAXさんは超えているんでしょうけどね)
ガチホするのも難しい
現段階ではガチホ=正義だとわかりました。
それと、もう一つ重要なことがあります。
それは「ガチホはとても難しい」ということです。
特に、大幅に相場が下がっているときに売らずに持ち続けるのは、かなりの精神力を要します。
少額だけ買って忘れている人ならまだしも、自分の資産のうちそれなりの額を投じている人にとっては至難の業です。
含み益が1日で30%とか飛んでいる場面を目にしながら、売らずに持ち続けるのは「信仰」に近いものを持っていないとできないと思います。
もしかしたら、トレードで勝つ以上に難しいのかもしれません。
そして、「下がった時も信じて売らない」という行動は、”トレーダー的”な人から見れば「思考停止」に見えるのでしょう。
まとめ
- Twitterで繰り広げられた「ガチホは正義か」の議論
- 正解はその人のポジションによる
- トレーダーと投資家の違い
- 結果がすべてである
- ガチホはガチホで難しい